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男の子が又兵衛を抱えたまま人の群衆の中に戻って行く。
又兵衛は腕から逃れることを諦め、耳を高くに伸ばし、その声が聞こえはしないかと耳を澄ましていた。
無意識のうちにはるさんの姿を探していたのだ。
そんな自分に気がついた時だった。
男の子が足を止めたかと思うと、彼はあろうことか又兵衛を乱暴に前に突き出した。
頭が、全身が、掻き混ぜられる。
「おとうさん、ねこがいたんだよ!」
揺れる視界の中でどうにか焦点を定めると、目の前に聳える泥と埃に塗れたジーンズがあった。
それを辿って首をもたげていくと、無精髭の生えた色の黒い人間の顎に行き着いた。
――嫌な予感がする。
無精髭に影が差したと思うと、ぎろりと窪んだ眼が又兵衛を捉えた。
嫌な予感というものは何故か当たるもので、次の瞬間には首根っこを大きな手にがっしりと捕まえられて、高くに持ち上げられていた。
下の方で男の子のあっと言う声が聞こえた。
「ここで待ってろ」
無精髭の男は息子にそう言うと、又兵衛を掴んだまま列を離れた。
男の子は抗議の声を上げようとしたのか、口を大きく開けたがそこからは何も出てこなかった。
代わりに少し俯くようにして、父親がいた空間に入った。
又兵衛は足を宙に投げ出して、遠ざかる人の群れを眺めていた。
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