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そういえば、はるさんもわしにそんな話をしてくれたっけ。
あれはいつの日だったろう。
又兵衛は記憶の糸を辿る。
旧友にそそのかされるようにして街に初めて下りた日のこと。
偶然辿り着いた場所。
そこに住むはるさんの顔、声、仕草。
彼女は夫に先立たれ、一人で暮らしていた。
わしは彼女の足元に座って、長い昔話を聞くのだった。
やがて一つの欠片に至った。
その時のはるさんの顔はとても穏やかだったように思う。
わしが本当に話を聞いていたなんて、まして理解していたなんてよもや思うまい。
彼女は黄ばんだ便箋を膝元に置いて語りかけた。
それは彼女が若き日に亡き夫と交わした、思い出の文なのだという。
わしにしてみれば、人の色恋事情は不思議なものだった。
何故文をしたためて送るのかだとか、親が恋路に関与してくるのだとか、特に思い出として物を保管しておくという行為は理解しがたく、未知の世界の話をされているようだった。
長年人に寄り添って生きていても、彼らのことは未だに分からないことが多いようだ。
それでもはるさんの慈しむような声が心地よく、結局最後まで付き合ってしまったのだった。
ああ、そういえばあの日はお天道様が心地よかったような気がする。
きっとそのせいかもしれない。
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