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雨の中、一人の男が路地裏を駆け抜ける。荒がる息は雨音に掻き消され、暗がりの闇を孤独にただ走り続ける。だが、男は突然浮遊感に襲われ水溜まりが点在する路地で激しく転倒した。砂土を含んだ水を顔面から浴び、洋服は泥で黒く染め上がる。
彼はこう思っただろう。何かに躓いたのだと。しかしその憶測は見事に外れる。彼の感じた浮遊感は偽物ではなく、現実のものだったのだから。
「ぎゃあぁぁ!」
男の両足は綺麗な切り口を残し身体と引き離されていた。路地の水面は赤い血溜まりにすげ替えられ、彼は動かぬ自らの足に手を伸ばす。自身の体を拾うというのは心情的にどうなのだろう。恐怖、痛み、喪失、絶望、悪夢、愛憎。それは所詮本人にしか分からない事柄でしかない。
「ひぃ!……く、来るな! 近寄るなぁ!」
男は脅えるように暗闇の中に焦点を置いた。耳を澄ませば微かに人の足音が五月蝿い雨の中でも聞こえてくるのが分かる。彼にはそれがどう聞こえているのだろうか。もし男の表情から例えるなら、死神の足音。それも彼にしか分からぬ事柄であり、余計な詮索はやめておこう。今は男に最大限の祝福を。
「こんばんは。今日は良い天気だ」
闇から出て来たのは二十を過ぎた頃の銀髪の青少年。黒衣に身を包み、右手には血の付着した刀身の長い洋剣を手にする彼は死神そのもの。至って口調は穏やかで、静かに流れる時間は残酷なほど男に迫り来る。
「だ、誰に雇われたんだ!」
「知る必要ないだろ。もう死ぬんだからな」
青年は彼の首もとに剣を差し向けてゆっくりと力を入れていき、抵抗する皮膚を破いて刃は首の筋に辿り着く。
「おやすみ」
男の首を洋剣が貫通し鮮血をばらまける。魚のように痙攣する彼の身体から刃を引き抜き、汚らわしい物を扱うように剣の血を一思いに振り払う。我慢の限界だった。狂い、歪み、そして青年は笑う。
「……あー……汚ねえなあ」
しばらく転がる『モノ』の横で、青年は周囲を気にすることなく、鳴り止まない雨音の中でひたすら笑っていた。
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