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もともと転勤の多い家庭だった。
覚えてるだけでも小学校の頃に5回、中学校に上がってからは8回に増え、高校も満足に授業を受けられた試しが無かった。
長くても3ヵ月、最悪一週間で転校した事さえもあった。
友達と呼べる間柄の人間も少なく、携帯電話を持つようになってもアドレス帳に登録出来た人は数えるほどしか居なかった。
それでも、両親を困らせてはいけないと内心思っていたからか、いつしか俺はあまり自分の考えを直ぐ口に出すという事をしなくなった。
段々口数も少なくなり、喋る前に頭の中で考えてから喋るようになった。
それは人によっては『謙虚』ともとれ、『冷静』とも取られるようになった。
そんな俺だから、ますます両親はドンドンと転勤を繰り返すようになり、
2010年の10月、いつもの様に帰宅した俺を珍しく二人揃って出迎えた両親は、また今までの様にこう切り出した。
「総司、来年の4月から八十稲羽の遼太郎叔父さんの所へ居候してね。仕事の都合で母さん達、二人揃って海外出張になっちゃったのよ。」
因みに、独り暮らしが希望だったので反論しようとした俺は、
その後母親の縦横無尽五月雨突き(ダメージ90前後)を食らいました。
正直、元レディースだって言う噂も強ち嘘じゃなさそうです、まる。
(瀬田総司 3月初旬の日記より抜粋)
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