信頼に対する裏切りの悲痛

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信頼に対する裏切りの悲痛

自分のことを信じてくれる人が欲しい そう語る人が度々いるけれど 僕の個人的な一切の客観性のない意見としては そんなふうに、語るのは、自分が友達を信じていないからじゃないか どんなに相手が自分を疑っているように振る舞っていても この人は内心では信じてくれている、と信じられたらそんな戯れ言なんて出てこない 信じることは思い込むことにすぎないし 相手よりも自分を変えるほうが楽だし 相手を自分好みに変えるなんて、人権的にどうなんだろうね だって、そんなの自分でロボットに会話機能つけて、自分と会話させて喜んでるのと同じじゃないか というか、信じることのリスクを考えたら、一旦、疑ったほうが楽なことに気がついたほうがいいしね 恐らく、語ってる人もそうしてる。自分のことを棚にあげるなんて酷いや 僕も酷い人間だとは思うけど、"信頼しなかった"自分を"信頼されなかった"被害者だ、と思うほど酷くない それは信頼を裏切られても仕方ないことだし もしも、自分を信頼してくれる人がいたとしたら失礼極まりない というか、絶対に自分を信じてくれる人は上っ面だけでも、一人はいるだろうに 少なくとも、僕は人を疑うことなんて知らないぜ。上っ面はね 信頼なんて言葉じゃ分からないし、何度もいちいち言葉にして確認するのは無意味ですよ 僕なんて真顔で「信じてる」って言えますよ ほんとに他人を過大評価しすぎで、嫌悪感MAXですよ なんて、本人には言えないけどね。言いたくもないけども 何故かというと、僕は陰でこそこそ卑怯に愚痴るのが好きだからです 陰湿と言われても仕方ないし、否定するつもりもないけど ただ、僕以外の人間くらいは信じてあげて欲しいな、って思います
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