雲と憂鬱

3/5
前へ
/21ページ
次へ
(まろ、だったか)  店主のいない書店、「まろん屋」。  従業員のいないこの本屋は、いつのまにか猫、「まろ」―――「まろん屋」からもじってつけられた名前だということは、言わずもがなであろう―――が居座るようになったことから「猫が店主のまろん屋」と呼ばれるようになり、一時期メディアでも話題になっていた。本を買いに来る人々には不思議と悪意はなく、みな代金を封筒に入れて、レジ横の集金袋に入れて帰るという。  もちろん、まろはあくまで猫である。何もしない。  だが集金袋は毎朝空になっていて、ときどき新刊や、新しい古書が並ぶという話なので、誰かがひっそりと経営していることは確かなのだろう。  小さな商店街の一角にある目立たない書店であるし、ましてやこの町の近くに大型書店が新規開店したことから、余計に客足は遠のき、閉店時間と開店時間には、人は誰も近付かないのである。地元に住んでいる友人らがまろ意外の人間を見たことがない、というのも頷ける。とある噂によると、この白い豚猫は(こう表記してしまうと豚なのか猫なのか分かりづらいが)猫の妖精であって、実は人語を解するミステリアス生命体なのだ、という話もあるが、そんな馬鹿な話はないだろう。  猫の眉間を親指で撫でると、少しだけ、喉を鳴らす音がした。  自分を気持ちよくするのは人間の義務だと言わんばかりの、一瞬だけちらりと覗いた左目に、ああ、本当にまろ、って感じの猫だなあ。と、少しばかり憎たらしく思う。  まあ、俺は猫がそんなに好きではないから、今のが実際にはどういう意味の行動なのか、理解し得ないのだけれど。  にしても、薄めの綺麗な青色だった。むしろ蒼という感じの、年寄りらしい、濁りのある色。嫌いじゃない。  もしも本当にヒトの言葉が分かって話ができるなら、まろでおじゃる。なんて口調になるんだろう。失礼で勝手な想像だ。  あまり触って起こすのも可哀想に感じて、なんとなく小説の棚を物色する。  気楽でいいものだ、人に見られないというのは。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加