桜の君

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 数日後、宵の時に、たまたま通りかかったお七は篠笛の音に誘われて、社に入った。桜は大分散り、木の幹が露になっていて、そこに葉が伸び始めている。 「……あ」 小さく呟く。あのお方かな。と思っていたお七の期待通りに桜の君は桜の下に御座を広げて胡座をかいたまま篠笛を吹いている。その傍らには、朱塗りの盃と酒瓶もあった。  篠笛の奏でる音はなんとも寂しげで、儚く、美しかった。お七はそれを社の鳥居に寄りかかって目を閉じて聞き入っていた。  ふいに篠笛が止み、お七が目を開くと男が目の前に立っていた。男と目が合う。 「お嬢さん」 「はい」 「また、来ましたね」 「……はい」 困ったような顔を浮かべるお七に男はふっと笑う。 「大分、散りましたね」 男はひらりひらりと舞う桜の一片をお七の提灯の明かりを頼りに捕まえる。掌の桜を見、切なげな、愛しそうな表情を男は浮かべた。 「……」 お七にとって酷く気不味い沈黙。 「……ぁ…あ、あの」 お七が声をかけると男が、桜からお七に目を移す。 「はい?」 「篠笛、得意なんですね」 「ええ。まぁ。嗜み程度ですが…」 「なんだか凄く、哀しげで……」 「別れを歌った曲ですから、哀しげで、寂しげに聞こえるのでしょう……ただ私はこの曲が一番、さくらに合う曲だと思います」 「さくらって華やかな雰囲気があるものじゃないですか? 特に宵の帳の内だと……」 お七は桜の木を見上げる。銀の月明かりに白く輝く花は酷く華やかだった。 「いや、儚いものです。満開から七日ばかりで舞い散る……故の華やかさだからこそ。そのさくらに別れを告げてあげたいな。と思う」 「……儚さ故の華やかさ……」 そう見るとなんとも物悲しい心持ちになる。 「もう、二日程で散ってしまうか……」 「あの、桜が散ったら、もう来ませんか?」 「ええ。来年、桜が咲くまでは」 男は肩を竦めた。その表情には憂い。 「……」 ふいにお七は胸を締め付けられるような感覚に襲われて、酷く狼狽する。 「…おや、こんな時間か」 月を見上げた男が、お七を見て微笑む。 「さ、そろそろ、お帰んなさい」 拒絶する事も出来ず、お七は頭を下げて去った。
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