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レニングラードの食人
1941年6月22日、ナチスドイツはソ連に侵攻し、8月にはレニングラードが包囲された。
ドイツ軍の空爆や地上よりの砲撃に苛まれ、寒さと飢えに苦しめられつつ900日の間市民は侵入者を拒み、ついにソ連軍の巻き返しで包囲は破られた。
しかし、この抵抗には広島原爆の20倍もの犠牲が払われた。
1941年当時、レニングラード市の人口は250万あまり。
包囲が解かれた1943末には人口は60万に減っていた。
少なく見積もっても、80万もの市民が餓死したことになる。
詩人のルクニツキーの証言では、1942年から1943年にかけては、毎日6千から1万の市民が餓死凍死していったという。
死体は袋小路、空き地、地下室を埋め尽くした。
死体回収のトラックはガソリンの欠乏で動かない。
そこで、人力で引きずって共同墓地に運ぶ。
前線から戻った工兵がダイナマイトで凍った地面を砕き、埋葬用の塹壕に似た穴を掘る。
墓地に向かう道の両側には、塀のように凍った死体が積み上げられ、車がすれ違うことも出来ない。
当然、食糧を求めての窃盗、殺人が横行する。殺して配給証を奪い取る。
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