♯3

2/2
前へ
/10ページ
次へ
「はい、これ」 「ありがとう!なんでこんな高い所にしまったんだろ。あたしかなぁ」 「いや、きっと俺だよ。有紗じゃ届かないよ」 弁当箱を差し出して、俺は有紗の顔を見た。やっぱり有紗はあの頃と同じままで、皺は少し増えたけど、綺麗なのは変わらない。 「お母さーん、早くー」 まったく息子め。人が感傷に浸っているというのに。 「はい、お待たせ」 玄関先に立って、有紗が弁当の包みを息子に手渡した。包みには花柄の模様がついていて、息子が持つにはちょっと可愛らしすぎる気がしないでもない。 「明日の運動会、頑張れよ。お父さんも行くから」 「えっ、いいよ来なくて。じゃ、行ってきます」 小さくなっていく息子の背中を見送って、俺は台風が去ったような後のリビングに座った。テーブルに置きっぱなしにしていた新聞を拡げてみる。 「な、有紗」 「なあに?」 「やっぱ、あいつも一番前なのかな」 「そうかもね。あなたの息子だし」 「でもきっと伸びるだろ」 「そうね。あたしの息子だし」 珈琲はちょっと温くなっているけど、やっぱり妻が煎れる珈琲は美味しいと思った。 「さて、会社行くか」 「あら、もう行くの?」 「うん」 妻が、ちょっと背伸びをしている。俺はちょっとかがんでみて、一瞬だけ、甘くなって、それからドアを開いた。 なんとなく、背伸びをしていたあの頃が、懐かしくなった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加