~春~

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業界用語とゆうものがあり、社会人は、それを使いますが、私はその意義がよくわからないと思っています。従属意識の表明なんでしょうか。飲食店の店員が隠語を使用するのと、同じ目的で、業界外の人間に話を分かりづらくする目的なのでしょうか。 私は、説明というものは、相手の知的レベルまで言語を落として、様々な簡潔な語彙を駆使して行われるべきだと思う。 もしかしたら、既にわたしの文章自体が難解だと思われる方がいるかもしれない。 それでしたら、噛み砕いて、レベルを落として説明することも、出来ますよ。 それが解説能力ではないでしょうか。 業界用語を使用して知的になった気でいる人の気がしれません。 真の能力というものは振り幅の広さにあります。 天才は天才にもバカにもなれます。 バカはバカにしかなれません。 そういうことです。 言葉が稚拙なくせに辛辣なのは、私の悪いくせです。 もっと穏やかに話ができるといいのにね。 話戻しますが、解説能力は、特に幼い子供を指導する立場にある人間にとって特に重視されるものです。自分のレベルを子供まで落として、対等に子供と話のできる教員は間違いなく、子供から信頼され尊敬されます。 それは闇雲にレベルを落とすのではありません。今の時代ものすごくレベルの高い小学生とか、いますから。 相手をよく見て、合わせる。ということです。その観察能力も必要になってきます。 小学校3年生の時の担任のもみやま先生は、私が成績は完璧で既に中学レベルの因数分解に取り組んでるのを見て、褒めてくれましたが、姿勢が良くない。と注意をして下さいました。 小学生時代…ていうかいつも私は問題児で、でも成績が完璧だったので、先生は怒りどころがないらしく理不尽な腹の立て方ばかりをしていました。 しかし、もみやま先生は違った。しっかり見てくれて的を得た事を言ってくれて、授業の内容を全て早々に済ませて自習をする私を認めてくれた。 彼女は真の教員であった。 話ずれまくったけれど。 私はそういう大人になりたい。 かっこいいというのは、知的ぶっているのとは、別だ。 4/20
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