蝸牛の午後

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昼風呂という究極の贅沢。 太陽がもう高くなったころに起き出した俺は、熱々に沸かした風呂に身を沈めると大きく息を吐いた。 気休め程度に入れた入浴剤の袋には「肩コリ、腰痛にはコレ」といったような温浴効果を謳う文字が見えるが、俺が望んでいるのは決して温泉科学による体ケアのようなものではなく、視覚と嗅覚による効果である。 安い入浴剤一袋で一生付き合ってきている肩コリとおさらば出来るはずがない。出来たとしたら世の中のサラリーマン諸君並びにコンピュータ関係業務に従事する人がもっとアクティブな生活を送っている筈だ。 入浴剤の香りがする。本来温浴効果という話ならば温めでじっくり浸かるのが一番良い。しかし温浴効果とかではなく、贅沢な昼風呂の時間を有意義に楽しむべく、俺は防水ケータイを風呂場に持ち込んでひたすらネットサーフィンなる、死語に近いものを楽しんでいた。 ネットの世界は活発だ。人工知能が完成し、また自分自身の人格を機械に組み込むことを可能にした人間は、つぎつぎに人生の舞台をコンピュータに移していった。 現実放棄というこの現象は次第に拡大していき、コンピュータ内でしか生きていない人間も少なくない。そんな中、現実を生きている俺は比較的変人の部類に入るらしい。事実、この安い入浴剤でさえ、通販以外では手に入らない。 今日もコンピュータ管理をする役所では、俺みたいな現実を生きている変わり者がコンピュータ内の管理統制に追われているだろう。 知識というデータベースが共有化された世界で同じような価値観の人間が同じようなコミュニティーを作り上げていると考えると、俺は血へどを吐きそうになる。気持ち悪い。無意識下で人は繋がっているという学説があったが、それが無意識以上――顕在している場所まで共有しているとなると一気に気味が悪い。 梅雨の晴れ間、ゴーストタウンと化した街を縁側の蝸牛がのたりと這っていく。あの蝸牛が幹線道路を横断しても、全くもって問題はないだろう。 それほど、この世界は人がいない。 俺は風呂から上がり、冷蔵庫でキンキンに冷やした牛乳を飲む。視線の先にはパソコンがあり、これから始まることを考えると俺はついついにやけてしまう。 そしてその日、ネットワークに生きる、二次元社会は物理的に破壊された。
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