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彼の差し出した珈琲を一口飲んで、私は眉根を少し寄せた。別にまずかった訳ではなく、ただ私には少し熱すぎただけである。
私も彼も珈琲が好きだ。ただ、私はとびきり苦い珈琲が好きで、彼はとにかく酸味の強い珈琲が好きである。
世間的にはどちらもブラックコーヒーが好きという言葉で片付いてしまうのだが、それでもその差は大きい。
二口目を飲んでみればそれは彼の大好きな酸味の強い珈琲であると、私にはすぐにわかった。安い豆ではなく、これは結構高いことを私はちゃんと知っている。
2DKの部屋に私と彼は住んでいる、所謂同棲というやつだろうか。しかし、私と彼は恋人であるわけではない。
共存、というのか何なのか。互いに依存しているところはあるものの、それは決して恋愛ではない。
ある程度慰めあったりはするものの、肉体関係等という言葉に総括されるような関係は一切なく、私と彼はあくまでも友人だ。
すっぱいし、熱い珈琲は私にはそのままのむことが出来ない。仕方無しに台所へ行き、私はミルクと砂糖を足した。ブラックでなくなった珈琲はすこし温くなり、極度の猫舌である私でもこれなら飲むことが出来るだろう。
彼を、私は一瞥する。
別段彼に特徴はない。ただ、非常に神経質で臆病。自分を鏡に映したみたいで、どこか違う。よく似た別人だった。
彼は熱い珈琲をそのまま口に運んでいる。赤いカップの中身はもう半分ほどになっており、彼が別に珈琲の熱さを気にしていないことを物語っている。
私は、それをただ眺めていた。
互いに恋愛は知らないというのは知っている。私も彼に恋はしていない。
けれども、愛はある。友愛やら情愛やら親愛やらの愛であれ、愛には変わりない。
むしろ超長期に渡る共同生活の始まりとなる結婚ということに対して、価値観を鈍らせる恋の感情は邪魔なのではなかろうか――そんなことさえ、考えてしまう、
私は彼に言った。
「なあ」
「ん」
「結婚する?」
結果、彼は熱い珈琲を鼻と口から噴水の如く思い切り噴き出した。ブフォ、なんていう音も同時に聞こえ、その様子に私は思い切り笑った。
そろそろ猫舌をどうにかしよう、そう考えながら私は珈琲がこぼれた机を拭った。
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