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第二章 その男、鯨飲につき
「おい、酒はもう無いのか」
銀杏の木の上から、ずいぶんと偉そうな声が降ってくる。
仕方なく酒が入ったひょうたんを木の上に向かって伸ばしてやると、一瞬でなくなった。
「そんな急いでぶん取らなくても、全部あげるよ」
空になったひょうたんが落ちてくる。
なんとか受け止めると、新しく酒が入ったひょうたんを上げてやる。
「これで最後の1つだよ」
「ふん。さっさと寄越せ」
これでもう、10本目だ。友人が密造したどぶろくを、1分も待たずに空にしてしまう。
恐ろしいうわばみだ。
そんなとこを考えていると、また空のひょうたんが降ってきた。
「まあ不味い酒だったが……約束は約束だ。お前の望みを1つ叶えてやる。」
相変わらず、彼は木から降りて来ない。
「富でも名誉でも、邪魔な人間の始末でも、お前の望みを好きに言うが良い」
「う、うん……」
「さっさと言え」
実は、お願いすることはもう決めてある。
「あのさ、この戦争が終わるまで僕の家族を、守ってやってくれないか?」
「?」
やっぱり、こんな望みは無理だっただろうか。
「駄目かな?無理?」
「……“お前”は、守らなくて良いのか?」
木の上から、少し戸惑ったような声が降って来た。
「うん。僕は召集がかかったから、明後日から戦地に行かなきゃならない。もう帰ってこれないかもしれないし」
「…………」
「だから、この戦争が終わるまでで良い。君に家族を守ってほしい。駄目、かな?」
「いいだろう」
意外にすんなり了承してもらえて、ホッとした。
これで、心置きなく出発できる。
「おい、お前の名は?」
相変わらず偉そうなものの、彼が初めて僕の名前を聞いた。
「ああ、僕は篠田惣一郎という」
「篠田惣一郎か。覚えておいてやる」
そういえば、僕は彼の名前はおろか、その姿すら一度も見ていない。
そんな相手に「家族を守ってくれ」だなんて、なんだが滅茶苦茶な約束をとりつけてしまった。
だが、彼は約束をきっと守ってくれるだろうと思った。何の根拠もない、不確かな確実だけれども。
「君の名前は?」
「…………」
しばらくの沈黙の後、頭上から声が降ってくる。
「お前が生きて帰ってきたら、また教えてやるよ」
――――結局、僕は彼の名前を聞けなかった。
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