第二章 その男、鯨飲につき

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「へんしつしゃ?何だそれは?」 男はおうむ返しに問い返すと、私き向かって一歩ずつ近づいてきた。 「ちょっ……」 もしかして、遭難者とか? だが、目の前の男はとても登山をするような人間に見えない。あくまでも第一印象だけど。 そもそも、登山をする人間は山に半裸で入らない。 ズボンだと思っていたのは黒い袴のようで、帯とも布とも分からない物で括られている。 「おい、何度言わせれば分かる」 「は?」 「酒は無いのか?」 アルコール中毒……とっさにそんな言葉が頭に浮かんだ。 この場合、素直に酒を彼に渡すべきなのか。うちは親戚のおじさんが酒屋を経営していてる。 売れ残ったお酒や酒蔵からもらうお酒が、お店の倉庫に入らない分がわが家に溜まっている。 「無い」と答えて、後でもし嘘だとバレたらどうなるのだろうか。 ……というか、その前にまずこの人は何者なのか? 「あの……」 「あ?」 怖い。たまに駅の側のコンビニでたむろしている不良より怖い。 でも、まずこれを聞かないと始まらない。 「お酒なら、家にあります。欲しいなら分けてあげます。その前に、あなた何者なんですか?」 「……酒呑。酒を呑むと書いて、シュテンと読む」 何の冗談なのか。私が知らないだけで、巷では、この類のギャグが流行しているのだろうか。 「…………」 「おい、名乗ったぞ」 私の名前は聞かないのか。 というか、この人さっきからずっと酒のことしか言っていない。 よっぽど欲しいのだろう。 「じゃあ、私の家まで付いてきてください。すぐそこですから。」 「分かった」 何だか、変な人に遭遇してしまった。 でも、山の中に半裸で遭難(?)しているアルコール中毒者を放置するわけにもいかない。 そういえば、この男には饅頭泥棒の嫌疑もかかっているのだが、下手に刺激すると私の身が危ういような気がする。 とりあえず、家で酒を飲ませて、落ち着いたら救急車を呼ぼう。 場合によっては110番することになるけど、そうならないことを切に願う。
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