なぜ小指は曲がるのか

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「我々人類は『種』として、『自分の遺伝子をできるだけ残したい』という欲求を持っている。これは生物的に確かなことだ。時として、だ。自分の遺伝子を残すことが困難な時…。自分と近似する遺伝子の保存率が最大になる点を理想点とする可能性がある。 わかりやすく言うと、自分と近い遺伝子、もしくは自分の残したい遺伝子を持つ人間…つまり、両親や兄弟、そして恋人。そのような人間の遺伝子を残せるのなら、そのために自分を犠牲にすることができる。 これは自分の残せる遺伝子よりも、多くの遺伝子が残せるという根拠があっての判断だ。わかるかい。つまり大切な両親や兄弟や恋人であるほど、犠牲になれる点も低くなる。遺伝子の量を本能的に足算引算して、プラスになる場合のみ自己犠牲が起きる。こう考えると、自己犠牲が、自分と遺伝子の近い人間、つまり家族や民族や国家という存在を守るために発動する、その事実が説明できるだろう? このパターンの自己犠牲は、守る対象が遺伝子的に近いと、自分が認識している場合にしか起こらない。見ず知らずの奴を守るため、死ねる奴はいないだろ?同じ人間でも、なぜか、日本人より外国人のために自己犠牲になるほうが、気がすすまない感はないか?それはつまりそういうことだ。僕たちの遺伝子による計算は、愛なんかによって超えられるものでは、ない。 自己犠牲とは、このような二つの観点で完全に解析できる。…ここで話の最初に戻ろう。つまり愛なんてものは、ただの打算である。生物的な、遺伝子的な打算。醜いエゴイズムにすぎないんだ」 …さくの話は、一旦切れた。しかし、アミは半分も理解できなかった…。 さくの話はとても難しい。そして、禁忌である領域に恐れることなく侵入し、切り裂く。論理という鋭い爪で。 アミは半分も理解できなかった。しかしアミは泣いていた。アミはさくを見て泣いていた。 さくの瞳に、小さな光の粒を見たから、アミは泣いていた。 アミの細い視界に走る、さくの頬を伝わる塩化ナトリウム水溶液。 ――それは世界で最も冷徹であろう男の…思いがけぬ、涙だった。
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