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靴下はもちろんのこと、寝間着の上に丈の長い厚手のコートを着込む。
部屋の照明を消して、床に置いてある調光可能の小さなライトひとつだけにすると、カーテンの隙間から差し込む淡い光が際立った。
カーテンを全開にすると、優しい光が部屋いっぱいに広がる。
サッシを開けて、バルコニーへ出る。吐き出した息が、夜気のほんの一部分を彩っては消えていく。
いくらか風はあるが、我慢できないほどの寒さではない。
無駄に大きな家だが、この広いバルコニーを設置してくれた両親には感謝だ。
雲ひとつない遥か虚空を見上げれば、そこには神々しいまでの銀鏡のような満月。
この時間、西に傾いてしまっているが、煌びやかな冬の星座たちを圧倒するその存在感が、彼は好きだった。
バルコニーの手摺りに肘をかけて、月を仰ぎ見る。双眼鏡も天体望遠鏡も使わず、肉眼で見つめるのも悪くはない。
『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』……と詠んだのは、藤原道長だったか。
変わらないものなどない。変わらないように見えるのは、変化の速度が人間の感覚では認識しづらいから。
現にあの月だって、一年間に3センチずつ、地球から遠ざかっていっている。
月まで約1.3秒。太陽まで8.3分。
時速5キロ、ノンストップで人間が歩いていけたとしても、月まで10年以上かかる。
光の速さに人間が追いつくには、一体何百年、何千年かかるのだろう。
最近発表された、太陽系から約20光年離れた、生物が存在しているかもしれないとされるグリーゼ581gへの到達など、一体いつの時代になることやら…。自分の生きているうちは夢にすらならないだろう。
人間が一番近い天体へ行くことすら儘ならぬというのに。
軽い溜め息が、夜の中へと吸い込まれていった。
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