4.紫煙に包まれて、忘却しよう

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 ――桜井さん、貴女が好きです。僕と付き合ってくれませんか?   突然の告白に夢中に頷くことでしか、答えられなくて。  まだ現実として受け入れなくかった、高校二年の夏のあの図書室での出来事。  あの日と違っているのは、しっかりと現実として受け止めていること。  そして、私が恋愛に対して消極的になっていること。  それなのに、こうして森川さんを意識しだしているのだから、どうしようもない。  今日から? ううん。たぶん、何回も珈琲亭で逢っている内に無意識に意識していたのかもしれない。  ――僕にその資格は無いのは分かってる。分かっているけど、あの我が儘だけは忘れないで  ……先輩、どうしよう……。  私、貴方の我が儘を忘れちゃいそうだよ。  記憶の中の先輩が消えてしまいそうで、また傷付くのが怖くて逃げてしまいたいのに。  この人の我が儘を、これからも受け入れてしまいそうで怖いよ。 「着いたよ」  そんなことを考えているうちにあっという間に四階の文房具フロアに昇ってきたらしい。  森川さんの言葉で、現実へと引き戻された。 「さて、お目当ての物はどこに――」 「……鈴音……?」  森川さんが店内の案内図を見ながら確認しているときに、私の名前を呼ぶ懐かしい声が聴こえた。  その声がする方向へ、私達は同時に振り返る。 「どうして、ここに……」    どうして貴方はここに居るの? と言い続けることが出来なかった。  わなわなと唇が震えてきてしまっている。  何故なら、その人は小さな赤子を抱いていたから。  隣にはその母となった、知っている人がいたのだから。  見たくないであろう現実が突きつけられている。  夫婦となった二人を。  ――僕にその資格は無いのは分かってる。分かっているけど、あの我が儘だけは忘れないで  そう言ったあの人が、目の前にいた。
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