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「ごめんなさい。ちょっと……」
「ああ、どうぞ。私には構わずに」
アイコは泳ぐような手つきでテーブルの間を立ち去った。
残された優太郎の中で、思考がめまぐるしく走る。
─あいつがアイコに話した話は、全部俺があいつに話したものだ─
誰かから聞いた話を、さも自分に起こった出来事のように受け売りすることは決してまれではない。
だが問題は、『いつ誠二がその話を彼女に語ったか』、ということだ。
優太郎は遠い記憶を、あらためて整理しながらたぐった。
──まず1日目。
優太郎は学会で横浜に来て、夜に誠二と2人で痛飲した。
今、目の前にいる女、アイコを紹介してもらったのはこの夜だった。
──次に2日目。
昼過ぎに誠二のマンションで目を醒まし、午後にあの混浴温泉へ行った。
“菱形の空間”を見たのはこの時だ。
それから湘南新宿線を待ちながら誠二と夕飯をとった。
誠二に混浴温泉の話をしたのはこの時だった。
その後、誠二は仕事続きで忙しいようで、そそくさと帰っていった。
──そして3日目。
病院は終日忙しかった。
他大学の教授がやってきたり、患者が急変するなどしていた。
誠二が医局の寮に戻ったのが夜の23時過ぎ。彼はクタクタに疲れて風呂に入った。
そして死んだ……。
となると、誠二がアイコに会って“菱形の空間”の話が出来るのは、2日目の夜。
それも優太郎と別れた後という事を考えると、真夜中に近い頃だろう。
頭の中に遠い日の風景が、まるで走馬灯のように浮かんだ……。
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