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誠二は疲れた様子でスナックのドアを押す。
そろそろ閉店という時間帯だっただろう。
店にはその頃急速に親しくなったホステスがいた。
「あら、遅かったわね。今ちょうどお店閉めようとしてたのよ」
「いろいろ忙しくてね」
「ひどい様子。だいぶお疲れみたいね」
「あぁ。もうへばっちゃって…。あのさ‥‥店が終わったら、軽くご飯でも食べに行かない」
「いいわよ。東京のお友達帰ったの?」
「うん、帰った」
「でも、すごく疲れてるみたいだけど……」
「大丈夫だよ」
2人は連れ立って店を出る。
深夜も開いてるファミレスか、それともちょっとした小料理居酒屋か‥‥。
軽くお酒を飲み、2、3皿つまんだ後、車に乗り、少し海の方までドライブしよう、なんてことになったのだろう。
左手で彼女の手を握り、次第にムードが高まり、車の中で唇が重なる。
「今晩、うちに来る?」
言いだしたのはおそらく女のほうだろう。
いずれそうなるものと誠二も考えていた。
東京のお友達にも、“清い体”をからかわれたばかりだった。
混浴温泉の、官能的な光景の話も、彼の心になにほどかの刺激を与えていたことだろう。
車は方向を変え、市街地に向け走り出す。あとは好き合う者どうし、男と女の自然な関係が待っているだけ……。
“菱形の空間”について話すのは‥‥おそらく話題が話題であるだけに、やはりコトが済んだ後、ベッドの中でがふさわしい。
誠二はアイコの髪を撫でながら、いくぶん照れ隠しでもするようにそんな話をしたのではなかっただろうか。
そんなやり口がいかにも誠二にはふさわしい。
アイコは死の前夜、誠二に会ったことを一言も言わなかった。
優太郎はもちろん、他の誰にも。
しかし、“菱形の空間”のことを彼女が知っている以上、2人がきわどいタイミングで会ったことは間違いない。
そのことを一言も言わなかったのは、2人の出会いが、なにか特別なものであった証拠だろう。
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