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「なにもないんだよ、私にはネ」
播磨さんは静かに呟いた。
顔は険しく、目は真剣そのもの。
それでもなにか、その態度に矛盾したなにかを隠しているような気がして――
――僕はまた、その心に土足で踏み込んだ。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘よ」
「嘘サ!」
僕らが踏み荒らしたその心は、膨らんではじけた。
形のない嘘が嘘を呼び、嘘を壊す。
播磨さんの中に孕んだ矛盾と秘密。
呼び起こしたくない記憶。
それを僕らは自らの好奇心のためだけに掘り起こしたのだった。
「そうサ! 嘘だヨ! だからどうしたんだ!」
隠れていた本心が彼の赤い唇から紡がれる。
「嘘だからなんなんダ!」
「……播磨さん」
「そうサ! 一人が寂しい人間サ。 君達もそうなんだろ? 一人が寂しいから二人でいる!」
「播磨さん」
「でも二人も辛い。 人間は少なからず汚れているからネ。 だから寂しいだけの一人がいいのサ!」
どこか壊れたように言葉を乱列させる彼に対して、僕はなにかを促すように呟く。
一人が寂しいから二人。
二人じゃ辛いから一人。
彼は結局は繰り返しだ。
そしてまた、僕も苦しいから二人なんだ。
「この年になるとネ、どれだけ自分が汚れているかわかるんだ。 だから純真で綺麗なものもすぐに見つけられる」
「播磨さん!」
「けどネ、汚い私はそれを――」
「みっともない」
彼の飛沫のようにまわりに飛び跳ねる言葉が遮られた。
凛と場を打つ声。
その声の主は間違えなく静だった。
「みっともない」
彼女は繰り返す。
彼の開いてしまった傷をぐりぐりと抉るように。
もしくはじわじわと首を絞め、彼の言の葉を絞り出すように。
「得体の知れない人間だと怖がって損をしたわ」
完全に目は据わっていて、先ほどまでの怯えた様子とは打って変わっていた。
今の彼女からほとばしるなにかは空間に滲み、そしてこの場を支配する。
いつもと違う彼女。
そんな静に僕は軽く恐怖と微々たる畏敬を覚える。
世の中で唯一変わらないことは全ての物事が変わっていくことだ。
わかってはいたけれども、それでも。
「播磨さん、あなたはなにをしたいんですか?」
僕は追い風に乗せて強く言った。
すると、彼は青汁を飲んだような顔で苦々しく言葉を絞る。
「……人を、人を探したい」
晴れやかな青空は相も変わらず眩しかった。
しかし、その端々には暗い黒雲が寄っていた。
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