3 武士の鑑・斎藤一

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この日、藤田五郎はいつも通り今の仕事場である東京高等師範学校で守衛をしていた。 学校内を歩いて回ったりしてはいたが、守衛というのは名目上であり、実際は撃剣部(剣道部)の師範をしていた。 しかしもう新撰組時代のように命を張る仕事ではない。 ここで藤田五郎って誰?という疑問があるかもしれないから言っておく。 藤田五郎とは斎藤一のことだ。 『藤田五郎』という名は会津藩主・松平容保公から授かったもので斎藤はこの名をとても大切にしていたそうだ。 今回は藤田五郎の時の話なので、斎藤のことは藤田と明記する。
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