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全ての準備を終えて、天音が神社を出ようとした頃には、すでに日は暮れていた。
夜の闇の中には不気味な空気が漂い、肌を敏感にさせる。
いやに静かな夜だった。まるで、そう。嵐を前にした晩のように。
高鳴る心臓。どうやら予想以上に自分は緊張しているらしかった。
「ええと……緊張した時は手に“人”という文字を三回書いて、飲み込めばいいって、蓮が言っていましたね」
左手を広げた天音は、少し迷った後、
「私は……こちらの方がいいですね」
“蓮”と“空”という文字を書き、ぎゅっと握りしめた。
その手を顔の位置で掲げて目をつぶり、
「参ります……!」
その声に緊張は紛れていない。覚悟を決めた者の声だった。
ゆっくりと石段を下る天音の背を見送る者がいた。
「ははうえ……どこにいっちゃうのかな……」
茂みからぴょこっと頭だけ出している少女――空音。
彼女も天城の一族だ。まだ微弱ながら『感じる力』も備えている。
ゆえに、なんとなく母が危険な所へ行こうとしているのもわかるのだ。
「ははうえ……」
心配に気持ちを覆い尽くされた空音は、ある決心をする。
茂みから勢いよく飛び出すと、母の背中を追い始めたのだ。
普段の天音ならば、簡単に気づけたであろうその幼い尾行は、結局成功してしまうのだった。
歴史に“もし”や“れば”はないけれど。
不運なことに、この幼心ゆえの行動は、空音の未来を歪めてしまうのだった。
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