荒唐無稽な御伽の様

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兎にも角にも、我慢角の折れた鬼が、彼女の声音に反応を示す事は無かった。 然らば得物を拾い、舌の先をちろりと出して上唇を舐める彼が、ひゆ、と腕を振るい風を斬れば、相太の眼と刃先は僅か一寸程も無く。 「あんた、不愉快だよ」 ならば、目前に白銀に照る物がちらりちらりとした、然様な危殆に瀕する状況下に置かれた相太の勢い何ぞ何処かへ行ってしまったのだろう。 生唾をごくり、と飲み込む相太の面を見遣りて悪態を吐く吉田は、其れは其れは麗しい微笑を浮かべて居るのだ。 矜持が高いと言う点も、近似している其の男。 然れども、此れ又ひとつ彼と違うなれば、神無月は益々混迷するなれど。 「イズミ、」 「……何?」 得物を振り上げる吉田の腕を、咄嗟に制止する神無月は、人の心の臓腑でも宿ったか、否。 其の由も、嬉々として生を奪う男である筈の無いイズミが、口元を緩めて今にも相太を斬り刻まんばかりであれば、彼女は彼の姿を追う余りに、らしからぬ行動に至ったのだ。 「君は違う」 「はっ、何が?手、離して呉れない?」 なれど、其の彼女の行動や言辞は、吉田にしても慮外であった。 当初は些細な求知心であった筈だのに、図らずも彼女の一言一行に動揺する具合であれば、斯くも平時通り威丈高に振舞えぬ。 ならば、眼前因り消してしまえば良いのか、と吉田が苦汁を飲まされた様な面持ちで、神無月を見下ろし考え至れば。 然う、彼女の眼に揺さぶられる男は、何とも安易な回答に落ち着いて、空いている腕で脇差を抜いた。 「離せよ、でないと、」 「僕を斬る、か。其れが君の望みか」 而して、威迫の眼を向けれど微動だにしない神無月に、吉田の美麗な面にも青筋が浮かぶ。 なれば、脇差握る腕をびゆ、と一気に振り下ろすのは吉田であった。 然れども、得物が彼女の首を掠めるだけであれば、眉目秀麗な丈夫の面は歪み。 「何でっ、」 彼女を斬る事も仕損じるなれば、一体己が何をしたいのか。 吉田はじい、と己の腕を掴む神無月を睨め付け思案に耽れど、行き着くのは如何しても。 「望み、……俺の望みは、」 然らば、吉田が開口仕掛けるのと同時、何やら砂利を蹴る音が近付いて来やるのだから、彼は眉根を寄せて彼奴じゃあない、と託ち戸を睨んだ。 「……神、無月っ」 なれば戸を蹴破らん勢いで飛び込んで来たのは吉田の意に違わず、息を切らし瞼の上より血汁をつう、と滴らせた斎藤であった。
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