荒唐無稽な御伽の様

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眼はぎらりと光輝を放ち、獲物を食い漁った後の如く跳ね返り血を衣に付着させる男の姿は、山犬の様だった。 然う吉田の眼に映る斎藤が、だらりと四肢を投げ出す神無月と眼を搗ち合わせれば、か、と瞳孔を見開いた。 何となれば、剥かれ露わとなった青白肌の姿を確認した斎藤が、如何な憂き目に見舞われたのか、間断無く厭でも脳裏に映る物なのだ。 「神無月、」 「……何だ、」 「……ず……ない」 「斎藤?聞こえな……」 臍を噛む様な思いの、斎藤の小さな懺悔の音が、神無月に届く事は無く。 彼は、刀に残る血汁をび、と払えば、吉田へと一直線に駆せた。 「はっ、本当に山犬じゃん。ほら、山に帰って死肉でも漁ったら如何さ」 然れば、ぎん、と鋼の打ち合う音と、何時の間にやら己の直ぐ目前に斎藤が居れば、吉田の背には冷え冷えと汗水が滴った。 其の由も、際どい所で己の首が跳んで行きそうになるのだから、彼が動じるのも尤もであろう。 兎にも角にも、ぎりり、と牙を鳴らす斎藤が、紛う方無く山犬にしか見えねば、引き攣る笑みを浮かべる吉田の。 「己は……畜生で、何より……汝は……畜生以下の、下衆故」 「っ!俺が下衆だって?腹立つな。其の舌端も腹立つんだけど。山犬なら山犬らしく舌出せよ。躾のなってない舌を引っこ抜いて遣るからさ、」 舌戦では、如何やら斎藤に軍配が上がる訳であるが、一方の吉田は頭に血が上がってしまった様だった。 然らば、冷静さを欠く吉田には、如何な軍配も上がらぬと言う物。 気の糸ぷつりと切らす彼を見逃す筈も無い斎藤が、峰打ちを彼の鳩尾に食らわせれば、刹那。姿勢を崩すのは吉田なのだ。 「下衆が……捕らえる値も……絶無」 「斎藤!!」 而して、ぐ、と呻く彼を見下ろす斎藤が、吉田の襟首目掛け、躊躇い無くして獲物を振り下ろそうとすれど、びくりとも腕は動かず。 加えて、斎藤が聞いた事の無い痛嘆の叫び音が、彼の耳に届けば、疑いそうになるのだ。 「……何故だ」 「……止めて呉れ、頼む」 其の由も、斎藤の腕を掴むのは神無月であり、哀れな声音を上げて己に乞い縋るのも、神無月であるが故。 詰まる所、ぐつぐつと煮え滾る湯に、冷水を打ち撒けられては、唯唯。 斎藤は、得物を振り下ろす事も、収める事も、かと言って熱湯が冷水になる事も無く。 見た事の無い神無月に面食らう彼は、幾度も幾度も、得物を握る手に力を籠め続けた。
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