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ぴち、ぴちん、と鳴り聞こゆ音は、露時雨の滴る音であろうか、否。
其れは露時雨でも、将又夜露が森閑とした闇に落ちる音の筈も無ければ、肌膚を伝いて闇に落ちる血露の音である。
ひゅ、ひゅう、と鳴り聞こゆ音は、木の葉を払い落とす冷やりとした木枯しの音であろうか、否。
其れは木枯しでも、将又東風である筈も無ければ、歯牙から漏れる息吹である。
「おいおい……本気かよ」
斯様な音を鳴らす当人が、意図して音を出しているかと思えば、然に非ず。
無数の刀傷からどくりどくり、と血雫が石肌に落ちるが故に、血汁が体内からそそくさととんずらするが故に、気息奄奄とした音色は鳴ってしまうのだ。
然らば、其の今にもぽくりと逝きそうな丈夫を担いで居た男は、苦心惨憺とした様で辺りを確認すると、樹幹を背凭れに静かに丈夫を地へと下ろし、其の頬をぺしりぺしり、と叩いた。
「おらぁ!寝んな!死んじまうぞ!」
「……あはー、」
「いってぇ!!」
「兎に角ね、耳元で叫ばないで呉れなぁい?其の声で死人も飛び起きる、ってねぇ。
あは、其れに寝て無いし死にやしないよー。唯、倦怠感が酷いなぁ。目が霞むしねぇ……ちょっと、過労で死ぬとか厭だよ、俺様。は、あはー?結局、何?俺様死んじゃう訳?」
然れど、幾ら叩けど返答の無い丈夫に、焦燥の感も山の頂程に達した彼は、丈夫の耳元で入魂の限りを尽くした一声を見舞った。
が、其れは拙い。
むくりと頭を擡げ、恵比寿の如く満面の笑みを浮かべる、元い何かが吹っ切れた様な面の丈夫が、びったん、と男の横面を張り倒せば、然うだ。
闇夜に其の音が響けば、樹枝に留まる生類は、皆落っこちてしまうのでは無いか。
然れば、存外元気な平手と声音に、何だよ心配して損した返しやがれ、と頬を擦る男は、其れでも聊か安堵の面持ちで、ぶう、と不服を唱えるのだ。
言っても男、久坂 玄瑞の様な大男が、ぶうだのぷうだの唱えても、愛らしい等と成り立つ訳も無く、ぞぞ髪立つ仕草に恵比寿顔の丈夫、入江 九一は思わず「うわ……」と、横面張り倒して熱を帯びた掌を冷ましながら、白眼視するのである。
兎に角さ死因が過労死何て厭、と己の血を見て、胡散臭くも嘆く入江の。
其れを見遣る久坂は、彼の言外の意を汲み取っていた。
彼の口元が僅かに引き攣るのは、刀傷の痛みでは無く。
なれば久坂も己の口端に触れ、俺もだ、と託つのだった。
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