戦争と言う名の産業 -Opening from the past-

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南京大虐殺   矛盾の歴史である事をご存知だろうか   昔の中国は城壁で町や都市を囲っていた 自衛の為に   南京戦になる前に外国人の手によって国際管理の安全区が設定されている   1937年に日中戦争が勃発した 戦火が南京に飛び火する前に南京市民『20万人』は軍の布告で安全区に非難した   12月13日 日本の軍によって城壁の一角が崩壊した   南京防衛軍側には降伏の命令を下す指揮官が居なかった   南京防衛軍司令官の唐生智が逃亡していた   そして城内に居た兵士が安全区に逃げ込んだ   この時、日本軍は安全区に居た市民は『攻撃していない』 だって無駄じゃない? 市民を攻撃しても 罪がないんだし 戦犯を犯す事になるし   この時軍服を脱いだ兵士がゲリラ兵にならないように摘発 『南京市民立ち合いの元で市民と軍人の区別をした』 場合によっては揚子江で兵士を処刑した   この処刑は合法的なもの 戦時国際法では降伏した兵士は捕虜として特別待遇(助命)する事になっている   しかしそれは 『軍服を着用し、訓練されていて、かつ『上官の指揮下にある戦闘員』』 のみに適用されるもの   しかし先にも述べた様に 司令官が居ない 軍服を着ていない兵士には捕虜の特権が無かった   生かすも殺すも自由って事だ   南京陥落から一ヶ月後 南京虐殺として英字新聞などで報道 一年後、誤報と言う事で南京虐殺の四文字は消える   しかし時を同じくして安全区に居た外国人が一冊の本が出発される   四万人の市民が虐殺、埋葬されていると証言した   しかし真実は『敵兵の死体遺棄』である   恐らくプロパガンダの一種だろう   四万人虐殺は根拠なき主張であった   公式な資料を元に編集された本(1938から1939年まで中国の歴史を書いた本)からはこの虐殺説の告発状は削除されている       しかし東京裁判でその虐殺説はまた持ち込まれる その時に担当したキーナン首席検事は数万人と数をぼかした     そして中国側は事実を粉飾した 四万人から三十万人にへと   そして教科書にも三十万人と、そう綴られている
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