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階段を降ろうとしていたさくらは踵を返した。
いつもは億劫な長い階段を、必死でさくらは駆け上る。
昇っても昇ってもゴールの見えない階段は相も変わらず恨めしかったが、少しの息苦しさはともかく、いつもより足は疲弊しなかった。
皆無に等しかったはずの体力が、こんな所で発揮出来るとは──。
上階を目指しながら、さくらは頭の片隅で、自分自身の体力に驚いていた。
このはは、五階の踊り場近くにいた。
「弦祇先輩っ」
見たところ無事でいたらしいこのはの姿を確かめて、さくらは胸を撫で下ろした。
心なしか怯えた瞳で前方を見つめていたこのはは、怪我もしていないようだ。
但し、さくらが安堵したのも束の間だ。
「貴女は──っ」
振り向いたこのはと目が合って、さくらは、驚きに瞠った黒曜石の瞳の色を見た。
途端にさくらは、自分がいかにもこのはの不審を招いたかを自覚した。
何せさくらは、このはにしてみれば顔も知らない下級生だ。名前を知っているはずもなければ、『弦祇先輩っ』などと必死に叫んではおかしい。
さくらはこのはの出てきた演劇部の舞台の常連だから、一方的に名前を知っていても不可思議ではない。が、きっとそんな事情を知らないこのはは、面識もない、あるとすればたまに廊下ですれ違う程度の下級生に名前を呼ばれて、さぞ驚いたことだろう。
「あ、あの、四階に怖そうな男の人の声が聞こえてきて、事件かと思いましたの。ですから警備員の方達をお呼びしようとしたんです。でも、弦祇先輩の声が聞こえて──…私っ……」
ただでさえ怖い思いをしていただろうこのはを安心させるべく、さくらは懸命に弁明する。
ずっと憧れていたこのはとの初めてのやりとりが、こんな気まずいものになろうとは、さくらは少なからず悲しくなった。が、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「先輩のこと、知ってます。……舞台、見てましたから……」
「えっ……」
「警備室へ行っていては、その間にも、先輩に何かあってはと思うと、私、ダメだったんです!足手まといだとか、余計な世話だとか、考える余裕もなくなって……」
さくらは必死だ。
このはに警戒されたり、変な下級生として記憶されては、耐えられない。
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