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『貴方の仰る通り、あたしはイかれていてよ。アリスが来るまでこのお茶会は続けるわ。そうしていれば、あの子はいつかまた来てくれる気がするの』
『目を覚ませ、帽子屋──君や僕の役目は終わった。アリスは成長し、彼女は彼女の世界で立派に羽ばたこうとしている。成長することの何がいけない?』
『ではチェシャ猫。貴方は過去を捨てろと言うの?アリスやあたし、そして皆に』
『──……』
聞き違えようはずがない。
甘いソプラノの声の主は、さくらより一学年上の高等部の生徒で演劇部の部員でもある、弦祇このはだ。
部活が始まって十分経っただけなのに、早くもさくらは仮縫いしている場合ではなくなった。
縫い針を生地の上に休ませて、このはの声にさくらは耳を傾ける。
自分の胸に、片手を当てた。
はやる胸がせわしくて、苦しいのに、詰まるようでもあるこの息苦しさを、ずっと味わっていたいとも思う。
下ろしたばかりのミントグリーンの薄手のボレロの胸リボンを、ぎゅっと握った。
芝居がかったこのはの口調から察するに、演劇部も活動を始めたのだろう。
このはとかけ合っている少女は、多分、銀月流衣(ぎんつきるい)だ。男女問わず、学園中の生徒達から高い人気を得ている上級生──彼女はさくらの二学年上だ。
可憐な鈴を鳴らしたような、道端に咲く小さな花に囁くそよ風のような、頼りなげでいて芯のある声に聞き入っていると、さくらの脳裏に、このはの姿がはっきりと映る。
パステルカラーの小花やシフォンの洋服や小物を好むこのはの肌は、白磁のようにきめ細やかだ。あどけない顔立ちを引き立てる大きな瞳は、ビスクドールの硝子の眸も色褪せる、綺麗な黒曜石の色をしていた。夜空に浮かぶ、さながら月の色の如く金色の髪を結ったツインテールは、いつ見ても可憐なこのはによく似合っている。
校舎の廊下で、さくらは時たま、すれ違い様にこのはと目が合う。そんな時、このははさくらににこりと微笑んでくれるのだ。
このはの笑顔は、さながら天使に愛でられた妖精だ。
このはの存在を知ったのは、さくらが中学一年生の秋、文化祭でのことだ。
手芸部の仕事の合間を縫って、さくらは学園内を散策していた。気紛れに演劇部のステージ発表を覗いてみた時、さくらは舞台に立つこのはを見つけた──。
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