最後の帝国

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 そして日露戦争は、日本国民の価値観を変え、日本を小国から大国へ、守りから攻めの国家方針に展開させる大きな劇薬ともなった。  日露戦争の講和条約は、日本の朝鮮半島の主導権獲得だけでなく、ロシアが清より租借していた遼東半島関東州の租借権を移譲し、日本軍が進出した南満州地域の鉄道の権益を獲得した。  日本は中国進出の足掛かりを獲たのだ。それから明治45(1912)年には、韓国を併合して大陸への足場を強固なものとする。  大正3(1914)年、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発した。大日本帝国は1902年にイギリスと締結した軍事同盟に基づき参戦する。日本軍は中国山東半島青島と太平洋南洋諸島を攻撃して敵国のドイツ軍を倒した。そして、ヨーロッパ方面にも駆逐艦部隊を派遣して敵国潜水艦から海上航路を防衛した。  1919年、第一次世界大戦は終結し日本も戦勝国の一国、更には国際社会を統べる国際連盟の常任理事国の一国として国際社会への発言力を強化させた。そして、戦争の間に中国に対して二十一ヵ条の要求を行い更なる大陸進出に乗り出していた。  日本の動向にアメリカがいよいよ警戒を始めた。  中国と太平洋での日本の影響力を牽制するため、アメリカ主導で中国、太平洋の列強国の勢力均衡を唱えた国際会議により日英同盟は解消された。そして、日本が二十一カ条の要求で得た権益も中国に返還する事が決められた。更に国際会議と並行して海軍軍縮条約も締結され日本の海軍力が制限された。  これにより日本は中国への進出は頓挫する。しかし、中国進出を邪魔された日本もアメリカとの対決に備えるきっかけを作る事にもなった。  一方、清に代わり国政を担った中華民国では情勢悪化の一途をたどった末、各地方勢力の軍閥が群雄割拠する内戦状態に陥っていた。  特に力を有したのが、南京を拠点とした国民政府と北京を拠点とした北京政府の二つである。  1928年4月、国民政府主席の蒋介石は中国統一を掲げて北京政府に対する北伐を開始した。二か月に及ぶ軍事行動は国民政府軍の北京入城と北京政府大総統の張作霖が北京から奉天への列車での移動の最中に後ろ盾となっていた日本軍関東軍によって爆殺され、後継者の張学良が国民政府に降伏する結果となる。
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