第1章

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第1章

 酒場は騒がしかった。喧噪ともとれる語り合いのなか、酒樽をテーブルにした立ちのみ席では、体を波打つ連中ばかりだった。  俺はそんな陽気な連中と一線を隠すようにして、カウンター席に座っていた。目の前の棚には、様々な色合いをした液体と、個性を表現するボトルの形状。あとはヒゲの渋いマスターが一人。  俺はグラスに注がれるシングル・モルトウィスキーを眺める。琥珀の淡い液体が水音を立てて揺れていた。  グラスを手で触れると確かな硬い手応えがあり、液体を井戸のようにして覗くとライトの光とともに俺の顔が投影されていた。  紫紺の瞳の色彩が綺麗に写ることはなかったが、輪郭の細い顔立ちが浮かんでいる。 「よかったじゃねえか傭兵さん。戦地から生きて帰ってこれて。だがまさか傷一つねえとは恐れいるよ」  マスターが渋いな笑みで声をかけてきた。  俺は口を半開きにするしかなかった。確かに外見上は普通のようだが、脚部や腹部には打撲さらに裂傷まで負っていた。  だが、あえてそこまで口にする必要性はないかと俺は別の言葉を探した。 「生きてなきゃここにも来れないしな。別にここにあるツケを残してもいいんだが……どうにもその気になれなくてね」  俺は苦笑してマスターを見つめる。 「そりゃあ殊勝なことだ。うちも慈善事業で怠惰なやつらに飲ませてるわけじゃないんだからな」  マスターはヒゲを撫で付けて頷いている。 「できることなら、俺は踏み倒したいんだがな」  グラスを持ちあげると、鼻孔に溜まる濃厚なアルコール臭が心地よかった。俺は液体をわずかに喉へ流しこんだ。元々個性の強い種類だが、俺が頼んだのは穏やかで後味がまろやかな銘柄だった。 「ちょっと熱くなってきたな」  俺は意匠を凝らした紋様が刷られた外套を脱ぎ、胸元に結びのある蒼いジップアップブルゾンを露出させる。 「っで、こっから先はどうするんだい。戦争が終わった以上は、この国にいても用がないんだろ」  グラスを拭きながら、マスターが俺の反応をうかがっている。俺は唇を指先で叩いて、自らの思考のまとまりを催促する。
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