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"金鏡の湖"は広大な湖だった。
淡く発光する白い靄が湖面全体を覆っており、対岸は遥か彼方にぼうっと浮かんでいる。赤紫の花が咲いたアジサイが、湖をぐるりと取り囲んでいて、湖畔から湖を覗き込むことはできそうにない。
私とリマーレは、湖の周りを歩いてみた。一カ所だけ、湖を取り囲むアジサイの輪が途切れている部分があり、そこには一艘の木の小舟がロープに繋がれていた。
魔女に見つかる恐れもあったが、靄が隠してくれるだろうと考え、私とリマーレは舟に乗ることにした。
空から降る星はいつしか小降りになっていた。
リマーレが湖の中央へと小舟を漕いでいく。
オールを逆に漕いで舟を止めると、じっとりとまとわりつくように立ち込めていた靄が、舟の周り円を書くようにふーっと引いていった。
リマーレは私を舟の縁へ乗せる。湖面は底知れない闇を湛えていて、何も映していない。すべての光を吸い込んでしまっているようだった。
リマーレは私の目を見て言った。
「わたくしから参ります。」
私が黙って頷くと、リマーレは息を呑んで、湖面を覗き込んだ。
一瞬だけ湖面が金色に光ったかと思うと、水面に人影が映る。
そこに映ったのは、リマーレの顔だった。
「やはり、ただの迷信だったのでしょうか。
ねぇ、リマーレ……――」
舟に乗るリマーレへ顔を向けた私は、言葉を失った。
リマーレは恍惚の表情で湖面を覗き込んでいる。
頬は紅潮し、セルリアンブルーの瞳の奥には熱い感情が蜃気楼のように妖しく揺らめいていた。
彼女は薔薇の蕾のようだった。幼い躯は内側に潜む熱情を隠しきれていない。
彼女の内部では甘美な蜜が煮えたぎり、解放の時を今か今かと待ち望んでいるかのようだった。
私の目の前で、ふたりのリマーレが向かい合っている。
ふたりとも同じ表情で、互いの熱を求め合っているように見えた。
リマーレは薄い喉仏を微かに震わせ、瑞々しい桃色の花弁のような唇から、呟きを零した。
「……リマーレ。」
リマーレは、湖の中のリマーレにそう呼びかけると、水鏡へそっと手を伸ばした。
湖の中のリマーレも、手を伸ばす。
リマーレが溶けた飴のようにしどけない吐息を漏らした。
その瞬間、湖の中のリマーレが水鏡から手を出して、リマーレの手を掴む。舟が激しく揺れ、水面に映るリマーレが歪んだ笑みを浮かべた。
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