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抑えの難しくなってきた動悸の所為で、震える手元を奮い立たせパンプスを取り出す。
もう生徒の姿も見当たらない昇降口で、降ろしたパンプスに足を入れながら、他の先生方に「お疲れ様でした」と声を掛けた。
明るい外の景色を開放された扉の向こうに見ていると、握り締めていた携帯がタイミングを見計らったかのように、無音の振動で私を呼び止めた。
着信相手の名前を確認することなく、どきん、と跳ねる心臓。
校舎裏にある駐車場に向かう先生方とは違い、独り昇降口から真っ直ぐに足を向ける私は、振動し続けている携帯を開いた。
「もしもし……」
機械を介しても、私の耳をふわりと優しく撫でる柔らかな声。
「……うん、分かった……」
もう、逸る鼓動を抑制することもせず、自分でも分かるくらいの顔の綻びに、……ゆっくりと進めていた筈の足が速度を上げる。
閉じた携帯を再度力強く握り締め、まだ芽吹きを迎えないソメイヨシノが並ぶ前庭を早足で駆け抜けた。
……あと少し……
背中を柔らかく押していた春の風が、校門へと向かう私を追い抜く。
視界を遮る長い髪を押さえながら、……ちらつく場所を見遣った。
視線の先にある校門の向こう側に見えるのは、一台の車。
近付くと分かる、いつも優しく私を迎え入れてくれていた見慣れた車を背に佇む立ち姿に、……酷く胸が震えた。
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