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「……」
「……あきなさん」
柔らかく小さな声に転がされる自分の名前に対して、思考が上手く活動していない私は、首を傾げることしか出来ない。
「なんかこう……」
「……」
「……もっと、動揺した方がいいですよ」
「……え」
「いや、いいです」と真剣だった眼差しを崩し、くく、と笑いを堪える彼をぽかんと見つめる。
「そんなことしたら、先輩の信用失くなりますし。……本当、俺で良かったですよ」
笑顔を浮かべたままのさとるくんは、まだまだ自由の利かない私の身体を、尚も優しく労わりながら誘導してくれる。
「タクシー乗り場、行きましょうか」
穏やかな雰囲気の中にあどけなさを覗かせる瞳を、下からこっそり見上げた。
変更した目的地へと向かっている視線は、もう私を見下ろして来ない。
『……まだ好きなんじゃないですか』
後悔、しているんだろうか。
未練、があるんだろうか。
でも、あの二人に近づきたくないと思ったのは、確かだ。
『見たくなかったんでしょう? ……自分が見限られた現実も』
こちらを向かない綺麗な黒の瞳は、相変わらずささやかに街灯の明かりを込めている。
その深い黒に、……自分でも分からない深層を、まさぐられたような気分だ。
『ずっと後悔し続けてる人を知ってるからですよ』
さとるくんも、……自分のことを包み隠して、あんな言い方をしたんだろうか。
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