8217人が本棚に入れています
本棚に追加
*
無音ではないなだらかな静寂の中で、ゆったりとした時間の流れを満喫した後、誰にも急かされることなく店を後にした。
「ご馳走様でした」
「いえ。こちらこそ、付き合ってくれてありがとう」
低いボリュームで聴こえるラジオは、対向車の過ぎる音に時折掻き消される。
この時期は夜になるとぐっと気温も下がり、肌寒く感じた車内も、足元からの緩やかな温風でまったりと和んだ。
その温かさと、若干許容をオーバーした満腹感に、車の揺れは、緊張していたはずの私に、究極的な安らぎを与えてくる。
「合格発表、いつだっけ?」
睡魔に手を掛けられる寸前に、沈黙を長引かせなかったのは本田先生だ。
「えと、……今月20日頃だったと思います」
「そしたら、お祝いしなきゃね」
「えっ、今日が前祝いって……それに、まだ合格って決まったわけじゃないですし……」
この間の昼食と今日の御馳走で、お祝いされるには充分過ぎるほどのもてなしを受けた。
これ以上は流石に遠慮しなければと、先生の横顔を見上げると、小さく穏やかな笑い声が向けられる。
「気づいてもらえないのもちょっと淋しいけど、……口実だよ。また君との時間を過ごすための」
ただの口上なのか、本気なのか、恥ずかしげもなく続けられた言葉に、先生を捉えた視線が硬直する。
「……」
カーステレオの僅かな明かりに浮かび上がったラインの綺麗な横顔と、ささやかに煌く瞳の色に……胸の奥がざわついた。
最初のコメントを投稿しよう!