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”氷の微笑”
聴いたことのあるその名は、かつて取引先の女性社員が給湯室で噂していたものだった。
いまどきそんなネーミングセンスあるか、と内心突っ込んでいたので、なんとなく印象に残っていたのだ。
「初め何じゃその名前はって思ったけど、一昔前に流行った映画から適当にパクってつけられたらしい。……女って恐ぇ」
さも可笑しそうに、わざと震える真似をする二階堂。
俺はケータイの画面から目が離せなかった。
「でも、なんで……」
ついて出た言葉は、空回りして宙を舞う。
なぜ”氷の微笑”はそこまで噂をされているのか。
いやいやまてよ、そもそも何で二階堂はこんな話を俺に?
すると、考えていたことが顔に出ていたのか、二階堂はニヒルな笑みを浮かべながらグラスを仰いだ。
「さて問題です。”氷の微笑”って、だーれだ?」
まるで子どもが大人に対してなぞなぞを出してからかうように、二階堂は首を傾げて言った。
「知るかよ。大体それのどこが興味深い話なんだ」
半ばあきれながらから揚げをつつくと、二階堂はまたもやケータイを操作し始めた。
写真データが貼り付けてある記事を開くと、掲示板の時のような暗証番号入力画面が表示される。
先ほどと同様、パスワードを入力すると、ある写真が表示された。
無言で差し出された画面は、俺の思考の全てを奪った。
”また違う男と歩いてたんだけど”という言葉と一緒に添付された写真に、嫌でも釘付けになる。
「なっ――――!!!!」
箸が手から滑り落ち、乾いた音を立ててテーブルに転がった。
瞬きすることさえも忘れていた。
「さぁ、だーれだ?」
まるで俺がどんな反応を示すか最初から分かっていたように、二階堂は頬杖をついてこちらの様子を窺ってきた。
長身スーツ姿の男の間に挟まれながら、気まずそうに佇む女性。
一人は黒髪パーマにお洒落めがね。
もう一方はアッシュブラウンの癖っ毛に、グレーのストライプスーツ。
そしてトレンチコートを羽織り、亜麻色の髪をなびかせて佇む愛おしい姿。
心臓が音を立てて暴れだす。
言葉にならない声が口から零れ落ちた。
「怜……奈……?」
紡がれた名前は、まるで他人の声を聴いているかのように脳内にこだました。
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