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この化け物が、これが神だというのか。人食いの神、醜い異形の怪物。こんなものに、過去の人間たちは恵みを貰っていたというのか?
おいかみはその巨体を揺らし、ゆっくりと這って前に出る。俺の視界を埋めるほどの巨体は威圧的で、おぞましくて、あまりにもおぞましくて、足が震えて動けなくなった。
これが現実だというのか。目の前のことが信じられない。本当に俺の目の前にいるのか。これは本物か? 映画のセットじゃないのか。着ぐるみなんじゃないのか。
おかしいな。頭が痺れたような感覚だ。考えが纏まらない。なぜだ? 絶望的な状況だろうに。おい、脳味噌よ。頼むから働いてくれよ。
緊張感もないし、なんだか気楽になってきた。なんでだろう。はは、おかしいなぁ。あれ、足が動かない。違うな、体が動かないんだ。
ははは、笑えてきた。これはもう、ダメかもしれない。
「正人君!」
誰かに腕を引っ張られ、そのまま後ろに引きずられる。振り向けば、光が懸命な様子で俺の腕を掴んでいる。強く握られた俺の腕が、じんわりと熱を持った。
次第にその熱が体に広がっていき、思い出したように脳から熱が吹き上がる。頭の中で汗が吹き上がったような感覚で、それが全身に伝播した。
やっと我に返った時、全身が痛いほどの鳥肌を立てる。
光に腕を引かれる寸前、怪物の動きが著しく鈍化したように見えた。事故に遭う直前などに、走馬灯が見えるとか、周りの景色が遅く見えるような現象が起きるというが、本当らしい。
もっとも遅く見えるだけで、俺は何も出来なかった。光が腕を引いてくれなければ死んでいただろう。
「た、助かった」
「う、うん」
二人で後ずさる。俺は、いや恐らく光も、互いのことは見ることが出来なかった。隣通しになったことだけを判断して、目の前にいる怪物から視線を外せないでいる。
あの時、保健室に入ってきたのがこいつだったのか?
いや……なにかが違う。あの時感じたのはもっと鮮烈なものだった。
目の前にしている怪物はもちろん恐ろしい。俺は恐怖で竦んでしまった。だけど、怖いと感じるだけなんだ。
あれは、おいかみは、そこにいるというだけで正気を狂わせる存在だった。姿を見たなら、きっと竦み上がるどころじゃない。二度と自分に戻れなくなると確信できた。あれは、そういうものだ。人が会ってはいけない存在だ。
まさか、いや、信じたくはないが――こいつはおいかみではないんだ。この化け物の、さらに上がいる。
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