序章

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 銀光が鮮やかな、明るい夜だった。張り詰めた冷たい空気が肌を刺し、沿道に並ぶ街路樹が寒々しく裸の腕を夜風にさらしていた。  粉雪が宙に舞う。  アスファルトが純白のヴェールに覆われ、まるで雲上のように世界を白く染めていた。  静かだった。  降り積もった雪が全ての音を吸い込んでいるかのように、静寂が支配する初雪の夜。  そのモノクロに塗りつぶされた世界の中で、四月一日創(わたぬきはじめ)はただ呆然と立ち尽くしていた。俯きながら、呆然と。白い絨毯の端っこに出来上がった赤黒いしみを眺めていたのだ。 『粉雪はよく積もるから、次の日の朝が面倒だな』  毎年のこの頃、同じく降り出す雪を認めると、創の父は決まってそう語るものだった。雪深い北国の生まれの父が、口ではそう語りながらも、どこか楽しげであることを、創はいつも不思議に感じていた。  しかし、降雪に心躍らせる自分に気付いていたから、きっと父も同じなのだろうと、そういう大雑把な解釈で、創は自分自身を納得させていた。  街にびっしりと敷きつまる雪、雪、雪。  未踏の部分に己が足跡を刻み込むのが堪らない快感だった。真っ白な世界に、自分という存在を刻み込むようで。それは、創の自尊心を育てた。創は雪が好きだった。  しかし、今彼は、好きだったはずの雪に囲まれながら、心をどっぷりと闇に沈めていた。  しんしんと雪が降り積もる中、呆然と立ち竦む彼の目の前には、夥しいまでに、累々と人塊が積みあがっていた。その人塊の皆が、それぞれに恐苦を浮かべ、呻き、果てていく。あまりにも現実離れした光景に、創は視覚以外の全ての器官を停止させ、何も出来ぬままにわなわなと震えていた。目に見えるものの衝撃が、彼の世界を埋め尽くしていたのだ。  そこら中に響く叫声も、擦り傷に赤く染まる手のひらの痛みも、何もかもを遮断して、まるで、弁士のいない活動写真でも見ているかのような只中に、彼は立ち尽くしていた。 「創……」  足下に転がる一体の人間が呻く。  父だ。  だが創には、そんな声は聞こえやしなかった。先ほどまで、自分の後ろで就寝を催促していたあのいつもの父とはかけ離れた形相ばかりが、彼の意識に焼き付いていく。
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