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この相談を受けて、ああ、この30年間に私たちが出来た事は、障害福祉年金と、生活保護の障害加算の増額だけか、人権啓蒙という点では、何ひとつ進んでいなかったんだなと、思い知らされる。30年前に私が味わったのと同じ不愉快があなたの目の前にある。
そして考えさせられる。
私たちの世代が行って来た生活保護改善の運動が間違っていたとは言わない。しかし、啓蒙を怠って来たため、空しさが襲う。
30年前の障害者を取り巻く環境は、生活保護さえ冷淡だった。行政は、親族扶養優先主義を徹底させようとした。親に扶養能力があると、40歳50歳になっても、親に養って貰えと、行政は突き放した。重度障害者がひとりいると、たちまち、一般サラリーマンの生活水準は、生活保護水準まで落ちた。費用が半端じゃないのである。
ようやく、親と別居する障害者は、世帯が別だということで、生活保護が出るようになった。いまでも、結婚して配偶者に扶養能力があると、生活保護は出ない。これが、障害者どうしの結婚を助長する結果になる。その方が経済的に有利なのである。
私のような結婚は、一番不利なのである。
あなたの家の場合は、まだしも障害者であるあなたの夫に職業がある。
しかし、三級障害者なら、「難聴」の中ではもっとも重い。
実は、障害者でも生活出来る所得があれば、一切福祉は面倒見ない、では、ノーマライゼーションの概念からはほど遠い。
障害ゆえの不便は、すべて公的支援が与えられるのが、本来の福祉なのである。
つまり、司法試験を突破した聾者が出たなら、裁判所は手話通訳が配置されなければならない。
市役所福祉課に手話通訳がいないなんて、論外なのである。我が町はそうである。
それらを、すべて「生活保護」の「障害加算」て凌いで来たのが、今の行政のあり方である。
地域で、ご町内で、障害者を支えていこうとする発想はまるでない。
私が若い頃した闘いは、残念ながら、あなたが、これから歩む道である。少しでも、障害者問題に理解がある人々を味方につけなさい。それが闘いの苦労を緩和してくれるとしか、アドバイス出来ない。私たちは、敵を作りすぎた。味方につけるべき人まで敵に回した。
それは避けなさいとアドバイス出来る。
常に、恥ずかしがらずに、聴覚障害者とは、こうなんです!と、言い続けるしかない。
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