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暖かい風が吹くようになってきた頃、たった一人の若者は灰の外套に身を包んで、山の中を歩いていた。彼は旅人。少し癖のある黒髪はやや長く、先端がうねっていながらもうなじと鼻先まである髪は、ゆったりと春の風に流されていた。
山の中は明るく、木々からは煌くような光が差し込んでいる。そして時折、足元に積まれた落ち葉の山や遠くの草むらのほうで、小型の獣がひょこりと顔を出す。旅人が歩いているのは下りであり、もうとっくに山頂は越えたところであった。
旅人は灰の外套の中から水の入ったボトルを取ると、無駄に取りすぎないよう、最低限の水を飲む。山に入ったのは通り道でもあるが、水を補給するためにはちょうどよかった。
「……!」
微かに、落ち葉の舞う音がする。それも不規則に、断続的に。旅人はその精悍な顔を訝しげに潜ませると、左手を外套の中に滑らせた。彼は旅人。何の防衛術もなしに、旅をする馬鹿ではない。
すぐ先の藪から姿を現したのは、大型の獣でなく、小さな人間。とその他大きな人間が後から続く。一見、狩りでもしているのかと思ったが、その形相は必死だった。小さな人間は少女らしく、大きな人間は大人の男。少女は旅人に気がつくと、息も絶え絶えに、
「助けて!」
と言うものだから、
「助ける」
と返した。
それを聞いた少女は、旅人を盾にするように後ろに回ると、まだ女性としては未発達な胸を押さえ、呼吸を整える。どこかの村人だろうか、と旅人は少女の麻に包まれた容姿を見て思った。
「その子に触るなよ」
少女を追いかけてきた大人が、一人、二人、三人。順を追って旅人の目の前に参上する。大人たちは一目見ればわかるほど目が血走っていて、どう見ても友好的には見えない。
「決して、その娘に触るんじゃねえ。下手に庇うようなら、それなりの手段を取らざる他ないぞ」
「聞きなれた台詞だな」
旅人の言葉を皮切りに、男たちがわざわざ革の手袋をはめて飛び掛ってくる。旅人は冷めた瞳でそれを視認すると、左手を外套から出して刹那的に指を引く。旅人が指を引くのが早いか、その判断しかねる瀬戸際で、炸裂音と共に先頭の男が吹き飛んだ。まるで不意に頭を強打したように、足を投げ出して後頭部から崩れ去る。一瞬、場が水を打ったように静まり、残った二人の男が倒れた仲間から旅人に顔を向ける。その視線の先には、一丁の古いピストルが硝煙を上げていた。
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