2010年5月

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やっぱり疑問に思う。 人は共存共栄、相思相愛し合う生き物なのか。 人間は自分勝手、私利私欲に生きる生き物なのか。 私は、親、妹、友達に必要とされたいと思い、依存傾向にあるのか。 今、東京で妹と暮らしているが、私は妹に寄生や依存しているのだろうか。 確かに、家賃払っていないのに住まわせてもらっている状態であるのだから寄生しているともいえる。 しかし、それは物理的なことであって、内面は 依存しているといえるのだろうか。 私は彼女に特別何かとして欲しいという見返りは期待していないが一緒に居て心地良さを感じている。 彼女の為に、積極的にゴミだしをしてみたり、皿洗いをしてみたり、はたまた買出しや駅までの迎えをしている。それは自身が望んでしているが、それは見返りということを期待してやっている行動なのであろうか。 私は、しかし誰かに認めてもらいたい、存在価値を見出したいとまだ強く思っている。 しかし、いまだに彼女に自分にことを必要として欲しいと強く思い、その証拠が欲しいと思っている。たまに甘えてみたり、強がってみたり、また甘えてみたり。 それは利用しているともいえるかもしれない。 私は彼女に必要とされたい、甘えたいから一緒にいる。 これは私だけが思っていることだけなのかと思うが、彼女もまた依存していると言える。 彼女が最近発言した言葉が気になる。 私が今日帰るというと決まって 彼女は「まだ居ればいいじゃん。いないと寂しい。」と言ってくる。 こんなこと言って欲しいと期待して、それを言わせることをやる自分が嫌らしいが、満足しているのである。 私一人依存しているわけではないのだと実感する。 つまり、彼女は私という人間といることで心地よさを感じている。 私は彼女に必要とされ、また彼女も私を必要としている。 これこそ共存共栄なのかもしれない。 しかし、疑問に思うのが、これは一見形よくはめるどられたものであるが、実際はそいうでないと思う。 なぜなら、そこから、依存は束縛へと変わるからである
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