冬の夜にジントニックを

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 極上のジントニックに口を付けると、日常の嫌なことは忘れてしまう。ジンの香りが脳髄に達するとじんわりと疲労感が麻痺していくような気がする。  一気に飲み干してしまいたい衝動を抑えて、一旦グラスから口を離す。  そして、感嘆のため息が漏れた。 「うまい」  素直な感想が口から出ていく。彼女はにっこりと笑う。 「だろう? ちよちゃんの酒は格別よ」  先客の男が急に話しかけてきた。その小肥りの中年男は目を輝かせて、私を見ている。ちょっとその様子に引きながら、愛想笑いを浮かべた。 「いやぁ、こんな当たりの店初めてですよ」 「だろ? なかなかこんな店ないぞ。兄さん、誰かに聞いてきたのかい?」 「いえ、たまたまですよ。ここにこんないい店があったなんて……」  そこで言葉を切ったのは、男の反応が明らかに鈍くなったからだった。身を乗り出さんばかりだったのに、興味を失ってあからさまに落胆していた。 「ちよちゃん、俺帰るわ」  そう言うと、中年男は立ち上がって、財布を取り出した。
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