紫陽花の女

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「へえ、兄さんは蝸牛の市は初めてなのかい?」 薄桃色の唇をうねらせて、はだけた着物の娘が視線を絡ませてきます。 私は鮮やかな黄色の着物からのぞく白く薄い肩に目を奪われていました。娘は簾をほんの少しめくりあげました。土砂降りの雨にもかかわらず、大勢の人や荷車が通りを行きかっています。私たちのいる、旅籠屋の二階から見ると、小さな川に傘や荷車がゆっくりと流されているようにも見えます。 「ほら、商人どもが荷車に食い物だの化粧箱だの西洋骨董だのを山と積んでうろついているだろう?それがマイマイに見えるから蝸牛の市ってのさ。」 なるほど、と私は娘の前で正座したまま適当に相槌を打ちます。娘は簾から手を離し悪戯ぽく微笑むと、猫のように私に忍び寄ってきました。娘は甘やかな声で囁きます。 「蝸牛の市で揃わないものはないよ。酒でも煙草でも女でも……ね。」 娘は白い指を私の頬に這わせそこに接吻をします。 「……君の名前は?」 娘はぴたりと止まりました。 「三重。」 ゆっくりと首をもたげ、にやりと笑う娘は私を喰らおうとする蛇にも見えました。私は胸が熱くなりました。苦しいのです。 「三重…………。」 私は名前を心に刻みつけました。目の前の彼女を命をかけて愛せるように。 私は獣のように娘を掻き抱き、抱き合ったまま床に激しく身を打ちつけました。 そして彼女の唇を奪いました。 外では激しい雨が降っています。
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