序章

2/2
前へ
/7ページ
次へ
まるで群衆が踏み鳴らすそれのような、数多の足音がする。だがオレは、それが一人の、一体の化け物による物だと知っていた。 岩陰に隠れたまま足音の正体を改めて確認する。 肌の質感は人間のそれと大差ないが、形状が明らかに人間ではない。 百足のような多数の足を器用に動かして歩く姿は、人によって吐き気を催すかもしれないし、失神する人もいるかもしれない。 極めつけにそれには人間のような顔があるのだ。 訳が分からない。 ちょっと前まで友人と愉快に笑い合っていたはずなのに。 足音が聞こえなくなったため、岩陰から顔を出す。 化け物はいなかった。 ほっと一息吐き、岩に背を預けずるずるとその場に座り込む。 恐怖による涙で濡れた目尻を軽く拭って、そして目を開けると、醜悪な笑みを浮かべる、あの顔と目が合った。 きっとオレは変な夢を見ているんだ。 残念ながら夢占いができないから今の自分の精神状況を理解できないが、まぁそれはそれとしてさっさと目が覚めて欲しい。 たとえ夢だとしても趣味が悪すぎる。 さっさと寝直したい。 「さァ早く変身するんだ」 変身?何を言っているのか理解できない。 「早ぐじろォォ」 焦点の合わない目でオレを睨み付け、唾液を飛ばしながら絶叫した。 「あ……」 逃げ出そうにも腰が抜けて立ち上がれない。 腕が数本オレに向かって伸びてきた。 両手両足が百足男の腕に捕らえられる。 「変身じろ」 「うぁ…」 恐怖のためか、声帯がまともに動かない。 小さくうめくことしか、今のオレにはできなかった。 突然、腹部に強烈な痛みが走り、内臓がひっくり返るような感覚に思わず嘔吐する。 そのまま無言で殴打され、体の中で骨が折れる音を生まれて初めて聞いた。 「ば……じ……ぉ」 脳が麻痺したのか聴覚が正常に機能していない。 砂嵐のような雑音が心臓の鼓動に合わせて脳に伝わる。 百足男の力が弱くなったのか、オレの痛覚が鈍くなったのかは分からないが徐々に痛みが小さくなってきた。 もちろん骨が動く感覚が気持ち悪いので、悲鳴をあげたいくらいだが、顔が腫れ上がっているため口がまともに開かない。 しばらくすると、四肢の拘束が解かれ、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏した。 その時、オレは薄れ行く意識の中、確かに見た。 百足男と対峙する、一人の女の子を。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加