3.

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「さすがに、履物までは持ってないよね?」 「……!! 申し訳ございません!! そこまで気が回らず」 「いや、あんたがこの履物でも良いって言うんなら、オレは構わないんだけど」 「私は全く気にしませんので、お気になさらず」 女は本当に全く気に留めていないのか、笑顔のままだった。 ーー少しは気に留めるべきだろ……。 心の中で、私は女に向かって呟いた。 「あの……申し遅れましたが、私は風月鈴(フウヅキスズ)と申します。あなたは?」 「オレの名前はーーー」 私は自分の名前を言おうとした。 しかし、それはただの擦れ声になっただけで音を発さなかった。 女は首を傾げて私を見ていた。 そこでようやく思い出した。 神に取られた私の名前は、この先一生使えないことに。 もちろん、私自身も。 それを思い出すと、必死で名前を考えた。 これからこの世界で使っていく名前であるからこそ、すぐに思いつかなかった。 だが、すぐに答えなければ怪しまれてしまいだろう。 私は月にちなんだ名前を考えた。 私の元の名前は望月。 これは満月をさす。 じゃあ新月は? 新月の他の言い方は……。 「朔月…。オレの名前は朔(サク)だ」 「朔様ですか」 「いや、様はいらないから」 「しかし、命の恩人ですから」 「……まあいいか。それじゃ、あんたの……いや、鈴だっけ? 鈴の家に行こうか」 「はいっ」 女ーー鈴は私の一歩前へ出ると嬉しそうに歩きだした。 私はその後ろ姿を眺めながらのんびりと追いかけた。 望月としての人生は、あの時終わっていたのだ。 これからは"朔"として、この時代を生きていく。 そして……陽菜の願いを叶えてみせる。 私は心にそう誓った。 太陽は西に傾き始めていた。
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