送り火

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そして、その蛍は送り火が焚かれると、いつの間にか姿を消していた。 朔は、あの蛍は亡くなった母だと信じていた。 今年は兄と父の新盆でもあった。 兄と父も母と共に会いに来てくれたら、どれほど嬉しいか…。 そこまで考えて、朔は苦笑しながら考える事を止めた。 流石に死者でも自由に時を越える事など出来ないだろう。 (…ごめんなさい。もし来てくれたとしても…私はいないの。幕末にいるの。現代ではなく幕末を選んだの。大事な人がいるから…。大事な人が、出来てしまったの) 両親と兄以上に大事な人など出来ないと思っていた。 自分の気持ちに気付いてからは、何度も言い聞かせた。 帰らなければ…と。 九条家の為に嫁がなければならないと。 だが、あの日、朔は全てを投げ打って駆け出した。 幕末で生きる事を選んだのだ。 (もう、お盆の時期に帰ってきたお兄様達を迎えられないけど…でも、届くかも分からないけど、幕末からお兄様達の供養をするから…。あの桜の樹の下で…) 幕末を選んだ事を後悔はしていない。 あの人の側にいたいと願った。 最期まであの人の側に寄り添うと決めた。いずれ悲しい別れがくると分かっていても…。 朔は現代への想いを振り切るように瞳を閉じ、そっと歩き出すと台所へと向かった。 先に昼餉の支度に取り掛かっている雪を手伝うために。 恐らく、この暑さの中で調理をしている雪は限界を感じ初めている頃だろう。
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