Part1 自分らしさ

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正直にいうと、俺は本当の自分だとか自分らしさとかなんて言葉は嫌いである。 一体自分の何を知って、誰が言い出したかなんてのはわからないけども、 どうにもその言葉たちは、自分の最良の状態を表しているようなかんじに使われているようなかんじがする。 本当の自分だとか、自分らしくあるとか、まるでいまの自分は自分ではないとでも言いたげなその言葉は 「もっと変わりたい」とゆう願望を胸に秘めながらも、なかなか変われずに、今とは違う別の自分がいるんだと言い聞かせたただの『甘え』にしか見えないんだ ミスチルの歌の歌詞にこうゆう歌詞がある 『知らぬ間に築いてた 自分らしさの檻の中でもがいてるなら 僕だってそうなんだ』 自分らしいことっていうのは、他人から自分を指すなら あなたらしい とゆうことになる。 でもその あなたらしい っていうのはその人にとっての先入観でしかないんじゃないかって思う おれは個人のらしさなんてものはないと思ってる。 仮に、いつも何事にも前向きに取り組んでいてポジティブに挑戦する友人がいたとしようか。 あるとき、その友人が大きな壁にぶつかって、 ネガティブな一面を見せ悩んでいたとする。 友人は 自分らしくないな 。と言ったとしようか もしそんな友人が俺にいたとしても、 いつもポジティブで明るい友人が急にネガティブになったからといって 「君らしくないな」 とはおもわない。 人ってのは、内面にあらゆる自分をもっているとおもってる。 泣き虫な自分、怒りっぽい自分、明るい自分、暗い自分。 ただそのいろんな自分がいろんな状況に合わせて出るだけで 本当の自分ってのはたぶんいなくて、どれも自分には変わりないと思ってんだ。 だから自分らしさってのは、他人の先入観と同じで 自分はこうあるべきだってゆう一種の自己暗示に近いもんなんじゃないかな。 こうあるべきだと思ってしまうことで、自分自身を固定しようとするから 結果的にそれが何かの呪縛のように、『檻』になってしまっているわけだ。 でもどんな自分も、自分の1つであって、 本当じゃない自分・本当の自分とかそんなのはきっとなくて、 強いていうなら全てが本当の自分であって、その現れる一面一面の全部が自分らしさなんだって思えるんだよ。
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