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日の本全土を見回しても、数えるほどしか存在しない。記憶の継承など出来ない俺たちからすれば、こいつも神様の一種なんじゃないかと思うことがある。
……話を戻そう。新興の南蛮新教と、神社仏閣の信徒との関係は水と油だ。
人の救済という大元の理念に変わりはないが、宗派には戦国大名の鎬削りと同様、縄張りというものがある。
この乱世に鳴り物入りで現れた新しい救い主だが、生憎と今の日の本は様々な主義主張をする神仏でごった返している。
そもそも、この国に古くから根付いている仏門でさえ、今は教義の相違で幾派にも分かたれ、結果法主が武力を持ち争いを辞さないという有様だ。
そんな土壌に根をおろしていくには、さぞかし肩身が狭いことだろう。
この南蛮新教に前後してもたらされた、鉄砲を始めとする南蛮文化は看過出来ないにせよ、実利も定かではない救い主に教化される大名など現れはしない……
……かに思われた。
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