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文久二年
将軍上洛の際の警護役として広く江戸在住の浪士達を募集し、浪士組を結成する
この案を幕府に建議したのは、尊王攘夷派の清河八郎であった
そして文久三年、この呼びかけに応じ集まった浪士組の一隊は京都に入った
しかし清河八郎は上洛して早々に、本来の目的は尊王攘夷にあたることを明かす
翌月には、浪士組の大半が清河八郎とともに江戸へと帰還した
…が本来の目的の警護、幕府への義を尽くすために京に残ることを決めた部隊があった
「めんどくさいな~」
のだが、約一名は別に義を尽くすためでもなく、曖昧な理由で残ろうとしていた
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