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浜田の少女 1 その朝、僕は7時20分の列車で熊本を出発すると、浜田市の沖本幸治の家へ向かった。 沖本幸治と親しくなったいきさつはこうである。 僕は長い間、神経痛と胃病に悩まされていた。 そのため健康上の理由から、労働組合の青年副部長を辞退して、後任に沖本を推した。 彼は快く引き受けてくれた。 僕は機会あるごとに、沖本を連れて、化学同盟の青年婦人部の定期大会や、学習会や、関西地区本部の執行委員会に参加して、少しずつ僕の役割を分担させていたので、この交替は青婦の活動に支障をきたすことなく行われるとともに、新しい力の導入によって、青婦は今まで以上に、活発な活動をするようになったのである。
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