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数ヶ月前、美月は募集要項を携えてこのビルの前にいた。母に送ってもらいはしたが、中には一人で入ると決めていた。
今と同じように、母は外で待っていてくれた。
『エブリスタ48 二期生募集
応募者は三階までお越しください』
入口に掲げられた案内板を頼りに階段を昇る。すれ違う大人たちに、気後れしながらお辞儀を返し、なんとか三階まで上がった。
そこで、すうっと勇気が引いてしまった。
目の前には閉じられた無機質な扉。
案内の矢印はその先へと誘っている。
勢いだけでここまで上がってきた。けれど、ここに自分がいるのが、とても場違いに思えた。
すれ違ったのは皆、忙しそうな大人たち。十二歳の子どもの来る場所ではない。
このまま帰ってしまおうか。大丈夫。まだ応募用紙は手の中だし。
そう思って振り返ろうとしたとき。
「おや? アイドル候補かい?」
大きな声が肩越しに聞こえ、美月は比喩ではなく飛び上がった。
恐る恐る振り返る。大きな男性が、ちょうど階段への道を塞ぐように立っている。
ばくばくと音を立てる心臓。喉に張り付いたように言葉が出てこない。
「おお。すまんすまん。びっくりさせちゃったか」
男性はしゃがんで美月に目を合わせてきた。
後ろから上がってきたスタッフさんの邪魔になっても気にしない。メガネと鼻の下のちょび髭が、ストンと目の前に下りてくる。
ツンツンと立った短めの髪、がっしりした体格。細身の美月の父親とは全然違う。
ただ一つ同じだったのは。
メガネの奥から美月を覗き込む瞳。
ちょっと小さめのそれは、いたずらっ子のように細められ、目尻にシワがきゅっと寄っていた。
優しく、美月の言葉を待っている。
そう、感じた。
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